アルピコ交通5000型(東急旧5000系)保存までの道のり

2020年3月22日から25日に、譲渡交渉により取得していたアルピコ交通モハ5000形(5005-5006)を長野県松本市新村より赤城山麓(群馬県前橋市富士見町皆沢)に移送を行い、設置しました。現在、一般社団法人電鉄文化保存会では3両の電車を保有しております。そのうちデハ3499号車についての保存の経緯はこれまでに3499保存会のホームページ上で公開されておりますので、ここでは今回の元アルピコ交通5000形(東急旧5000系)電車2両の保存を実現するまでの経緯について、記しておきたいと思います。少し長くなるかもしれませんが、どうぞお付き合いください。

 私とアルピコ交通のお付き合いは、もう20年になります。その間、廃車後保存されていた5000形の塗装修復、青ガエルへの復元、また毎年行われるふるさと鉄道まつりへのお手伝いなどを通して親睦を深めてまいりました。



そんな経緯で、アルピコ交通が所有する電気機関車ED301の修復を許可いただいて進めてきたわけですが、20188月も半ばを過ぎた頃、新村車両所で電気機関車の作業が大詰めを迎えていた時、不穏な噂を耳にしました。

5000形が近々解体処分されるらしい?

ただ、この時点ではまだ公式発表はされていませんでした。

そこで、ちょうど新村車両所にいらしていた鉄道部門のI部長にその件をお聞きしてみたところ、驚くべき事実が告げられました。5000形の処分はすでに決定事項であり、9月の半ばにお別れ会を行いその翌日から解体する予定だというのです。私としては寝耳に水で、その場でI部長に解体を止めることが出来ないか、また車両所に保管できないなら個人で引き取ることは出来ないかを相談してみました。

しかし、その時点での回答は、100パーセント不可能。理由は、すでに解体見積もりも取り、会社役員会でも了承されていること、また譲渡については、車両内部にアスベストが多用されている可能性があり、それをすべて除去しない限りは鉄道敷地外へ搬出することも出来ない,と言うことでした。とりつく島のない、完全な八方塞がりの状態です。もう諦めるしかないのか・・。

その日は、5000形は車両史的にも大変貴重な車両であり、もし譲渡の可能性が1パーセントでもあったら連絡してほしい、と伝えて車両所を辞しました。

 そして数日たった頃、車両部長よりメール連絡があり、「5000形電車に関し、厚生労働省からの石綿付着車両譲渡禁止の通達により、全ての石綿やPCBを除去すれば譲渡は可能となりますが、車両のどこに石綿が使用されているのかさえ分からないため、数万点に渡る部品全てを調査して除去することは現実的に難しいと思われます」との正式回答がありました。しかし、そのときに、最近他社で同じような状況の車両を譲渡した事例があり、そちらでどのようにしたのかお聞きしてみる、と前向きなお話も伺いました。暗闇の中のわずかな光明です。それに賭けてみるしかありません。

 

その後、譲渡に関して話の進展がなければ、10月か11月頃には解体する意向であるとの連絡がありました。ただその時、他の鉄道会社や製造会社、博物館への譲渡の打診をしてくださるということになりました。私どもではコネクションがなく時間的猶予もなかったため出来なかったことであり、大変ありがたいお申し出でした。アルピコ交通としても、現場に近い方たちは、出来れば解体は避けたいという気持ちがあったのではないかと勝手に推測しています。

また、法人への打診を優先するのには訳がありました。会社としては、車両譲渡は個人に対しては出来ないが、鉄道会社どうしや法人間での取引でなら可能だと言うことなのです。と言うことは、もし私どもが引き取る場合には、新たな法人の設立が不可欠条件であるということです。

 

9月に入り、他社で車両譲渡を仲介した業者が新村車両所に現地調査に来ました。その結果、運搬自体は可能ということですが、運搬据付費以外下記を含めて必要であることが示されました。

 ・保管場所の確保

 ・アスベストの調査除去費用の負担。

しかし、譲渡を打診したところはどこも「不要」との回答でした。また、一般に譲渡希望者を募ったところ、5000形を電車として保存したいと名乗り出たのは私どもしかおらず、他には農園の倉庫として使いたいので電車が欲しいというオファーのみだったそうです。

 

11月に入り、アルピコ交通より、5000形の処分について新たに期限が切られました。譲渡するのであれば、20191月末までに譲渡契約、20195月末までに敷地外へ搬出、譲渡が無理なら20193月末までに解体処分。この時点ではまだ保存先は見つかっておらず、またアスベストの処理問題も未解決のままでした。そして、譲渡契約を交わすためには新法人の設立も出来ていなければなりません。

越えなければならないハードルが、なんと多く高いことか・・・。

 

まずは、最大の懸案、保存場所の確保です。

はじめに考えていたのは、新村車両所の資材置き場の一角をお借りするか購入してそこに置くと言う案でした。これは、立地やセキュリティーなどの点で有力だと思ったのですが、会社としての意向は不可。処分の目的が、危険物のアスベスト等が含まれているものを敷地から撤去することであり、敷地内に置くのでは意味がないということ。また、鉄道用地というのは抵当権などいろいろと制約があり、一般への販売や譲渡は出来ないそうなのです。一旦は解決するかと思われた案は振り出しに戻ってしまいました。

ただ、この時点では譲渡の可能性を本気で模索していることが少しご理解いただけたのか、搬出の期限が2019年度の上半期9月いっぱいまでと少しゆるくなりました。ただし、2019年の2月中旬までの時点で引受先が決まった場合は解体しないが、引受先がない場合は解体の話を進めると言うことでした。

何の解決策も見いだせないまま、時間ばかりが無情に過ぎていきました。

さて、2019年も明け、ちょっとした朗報が舞い込んできました。新村車両所の近くに、借地ですが2両を置けそうな場所があるというのです。現地を視察すると、広さは十分にあり、何より近いので輸送費は安く済みそうです。そこで、仲介の不動産業者を通して地主様にお伺いしたところほぼご了承いただき、話がうまくまとまりそうでした。また、この頃デハ3499号車保存会の代表とお会いし、現在の状況を相談したところ、もし新村の土地がだめだった場合には3499の設置された場所(借地)に置くことも可能だろうとの返答がありました。

その後、新村の土地は突然話が一転してお断りされてしまいましたので、最後の砦である赤城の案で進めることになりました。ただ、その3499が設置されている土地は、契約では2両まで受け入れ可能ということだったそうで、余裕はあと1両です。さらに2両置けるかは再交渉が必要と言うことでした。資金面でも、2両となると輸送費その他がほぼ倍になるため、負担に耐えられるかが懸念されたため、この時点では1両譲渡が有力でした。しかしその後、アルピコ交通のご意向で、1両譲渡の場合には3月末の1両解体と同時に搬出しなければならないということになりました。3月末の搬出はどう見ても出来そうにありません。つまり、どうあっても2両譲受することが条件になったということです。

この時点で再び示されたタイムスケジュールは以下のようでした。

 ・移設先確保  2月中旬

  これを受けてから、社内における解体手続きの中止

 ・車両譲渡契約  4月中 新法人とアルピコ交通   

 ・アスベスト除去・車両移設  20199月末まで

 

この頃、各地の保存車が「安全確保」「コンプライアンス」を盾に解体処分が進んで行きました。鉄道保存活動は社会情勢や規則の面で厳しくなり、5年前でしたらあまり問題にならなかったことも、しだいに出来なくなってきています。

  アスベスト問題は最大の懸案でした。 

 ご存じの方も多いと思いますが、現在のアスベストの取り扱いは建造物のみならず鉄道車両においてもどんどん厳しくなってきています。昨年にはアスベストが飛散環境にある部材だけでなく、密閉されて表面に出ない場合でも、含有されている場合には除去が義務づけられました。

鉄道車両においては、特に古い車両ではけっこう多くの部位に使用されています。今回の譲渡でも、アスベスト除去は大きな懸案事項でした。そこで、専門の処理業者に調査をお願いすることになりました。

まずは現車を視察してもらったところ、簡単に取り外せるヒーターの断熱板などは問題なかったのですが、床下および内装内側の断熱材、台車摺動部、床下機器内のアークシュート、絶縁材、断熱材、そして空気配管のユニオンリンクのパッキングにアスベストが使用されている可能性が高いとのことでした。中でも内装の断熱材は、除去するためには内壁や天井部材をすべて剥がす必要があるがそれは不可能であり、もし外せたとしても再組み立ては出来なくなる上、作業費も1千万円以上かかるだろうとの話でした。また、台車の摺動部も現実的には除去は不可能です。床下機器は、内部にどの程度含まれているか分からないため、すべて撤去する必要があるとのこと。ユニオンリンクのパッキングについては、2両で数百箇所ある上、奥まった場所のものは作業が難しいため、ユニオンリンクを配管ごと切断除去することが必要とのことでした。しかし、そうなれば車体や空気配管はズタズタ、床下はがらんどうになり、電車としての機能を失うことになってしまいます。産業遺産として残すためには、これらのことはなんとしても阻止しなければなりません。でも、どうやって・・・?

ただ、現時点で心配していてもどうにもならないので、まずは採取したサンプルの調査結果を待ちました。

このアスベスト問題だけでなく、この先クリアしなければならない課題が一つでも不可能と判断されれば、その時点で保存活動は中止、解体という結果になるという、心の安まらない日々が続きました。

ようやく調査結果が出ました。その結果、内張りと床下の断熱材からは幸いなことにアスベストが検出されず、断熱材除去は必要ないことが確認されました。床下機器は、断熱と絶縁のために張られていると思われた内張りは全く入っておらず、アークシュートに使われている程度でした。これは簡単に取り外すことが出来ます。台車の摺動部にもアスベストは含まれていませんでした。ただ、配管については、やはりユニオンリンクのパッキングからは検出され、その除去が必要であることが分かりました。処理業者に配管を温存しての除去が出来ないかを相談してみたのですが、そのような細かい作業は対応しかねる、との回答でした。他の業者にも打診してみたのですが、やはり対応できないと言われました。除去に関して何かよい手はないかと、現地の労働基準監督署などの行政機関にも出向いて相談してみたのですが、鉄道車両のアスベスト除去に関する事例やマニュアルなどないとのことで、厚労省の通達と同じ回答しか得られませんでした。これは除去後に配管修理という形で対応するしかないと言うことになり、仕方なく切断除去の見積もりを依頼しました。

 

 輸送に関しては、輸送経路の道路許可申請に6か月はかかるということで、なるべく早く依頼したほうが良いとのことで、業者選択についてデハ3499号車保存会の代表に相談して数社にお伺いをたて、鉄道車両輸送で実績のある会社にお願いすることにしました。 その後は頻繁に搬出先、搬入先の視察や打ち合わせに同行するなど、忙しい日々が続きました。

 

2019年ももう3月になり最終判断期限も近づいてきたので、アルピコ交通に対して解体を止めるための協議申入書を正式に提出しました。この頃になると、譲渡計画も一応のめどがついてきたと感じましたが、まだアスベスト問題と法人立ち上げについては解決していませんでした。

アスベスト問題で最後に残った配管のユニオンリンクの処理問題ですが、この後20198月に入ってもよい解決の方法が見つからず困っていました。ところが、8月の終わりに鉄道イベントでお会いした株式会社ワンマイルのT社長にそのことをお話ししたところ、アスベスト処理のライセンスを取得されていると言うことで、今回のアスベスト除去の調査から除去作業まで引き受けてくださると言うことになりました。配管も傷つけることなくパッキングを除去してもらえるとのお話で、これまで停滞していたことがあっという間に解決してしまい、信じられない思いでした。

作業は12月初旬に行われ、処理後にマニフェスト作成をしていただき、これで無事搬出が出来るようになりました。

 新法人の立ち上げ

法人化については、20195月でもまだ立ち上げが出来ていなかったので、他の作業と並行しながら急ぎました。

設立準備は、資金面や事業活動の特殊性、またこんな貴重な体験をする機会は滅多にあるものではないという思いから、外注せず自分で立ち上げ準備をすることにしました。立ち上げマニュアルと首っ引きで、設立社員集め、定款づくり、申請書類の作成をしたのですが、慣れないこと故やり直しも多く、定款の割り印の押し方一つとっても、公文書を作ったことがないのかと公証役場で呆れられながら、なんとか法務省提出書類を作り上げました。

そして、提出。201985日に、晴れて一般社団法人電鉄文化保存会が成立しました。その後、アルピコ交通と新法人との間に正式に譲渡契約が交わされ、ついに5000形の所有権は私ども保存会に移りました。時に、20199月のことでした。

  展示用軌道の施設

譲渡計画が具体性を増してくるにつれて、アスベスト処理に加えて展示用線路の施設という問題も浮上してきました。レールと枕木の入手や輸送をどうするか。犬釘やプレートをどこから購入するか、実際の施工をどのような形でいつ誰が行うのかなど、これから決めなければならないことが山積みでした。特に、レールの入手については、新品は値段が高すぎる、長すぎたり遠方すぎたりすると運べないなど、大変難航しました。ところが、そんな折、私たちの活動を知った茨城県で鉄道車両保存をしている団体の方より、保管しているレール40メートル施設分を無償貸与してくださるという話が舞い込みました。鉄道保存に携わっている同士の強い横のつながりを感じさせる、大変ありがたい申し出でした。ところでこのレールは、かつてその地で元東横キハ1が行き交ったレールであることがわかり、こんなところに人知の及ばない縁を感じました。

施工については、これまで数々の保存活動に携わり実績を積んでこられた株式会社ワンマイルのT社長にお願いし、我々も全面協力する形で話がまとまりました。実作業は、11月に入ってから開始しましたが、後述するように輸送時期がどんどん遅れた経緯から、急いで施設する必要もなくなったため、20203月初旬まで掛けてじっくりと完成させました。

   

 あとは、いよいよ輸送です。

ただ、この期に及んでも道路使用許可がまだ下りておらず輸送時期がはっきりしなかったため、輸送日がなかなか決まらずやきもきさせられました。年末にようやく許可が下りたものの、冬期には峠道の路面凍結が怖いと言うことで3月にしたいと輸送会社から申し入れがあったためさらに遅延し、結局323日から25日にかけて実施することになりました。

アルピコ交通と交わした契約書では2月末日までに搬出すると取り決めていたため、延期については協議する必要がありました。輸送に関しては、保存が決まったらなるべく早い時期に輸送会社に働きかけて許可申請をした方がよい、との教訓を得ました。

輸送は、323日にトレーラー積み込み、深夜に松本・新村車両所を出発、道中大きなトラブルに見舞われることなく、碓氷峠付近で一泊した後、無事赤城まで運ばれてデハ3499号車の隣に搬入、設置されました。このときの道中についてのお話は、また項を改めてご報告したいと思います。

    

今回の鉄道車両の譲渡に関して、本当にいろいろな方のご協力をいただき、ようやく実現することが出来ました。とりわけ、終始ご理解をいただき社内の調整にご尽力くださったアルピコ交通鉄道部門のI部長には感謝してもしきれません。

また、今回何度も躓いて行き詰まったときには、どこからか魔法のように救いの手が差し伸べられ、乗り越えることが出来ました。ご協力いただいた多くの鉄道保存に関わっている方々や団体様には本当に感謝しております。

今回学んだことは、私たちのような民間が鉄道保存を行うのは、決して個人や1団体だけで出来るものではないと言うことです。縁というか横のつながりが不可欠であり、多くの方々のご協力があってこそ成し遂げられるものだと言うことを実感しました。

 

保存活動は、輸送、設置が終わったこれからが本当のスタートです。これからも、皆様にお力をお借りすることが必要になるときがあると思います。その時には是非ご協力いただきたく存じます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 一般社団法人電鉄文化保存会 代表理事 岩崎直彦

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